Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会: 日本平和市民が原爆の悲惨な体験をした「日本思い出の原子爆弾」の真実を授けたい。日本原子爆弾の代弁者として多くの世界平和市民の心に送りたい。いつかの時代も、原子爆弾の加害者と被害者にされるのは市民です。原子爆弾を知らない世代の平和市民に「思い出の原爆」の真実を覚えてほしい。原爆と平和市民の真実を記録するブログには、その関心や意義だけではなく、閲覧にも留意しましょう。「思い出の原子爆弾」の真実は平和市民による原子爆弾禁止の真の抑止力となります。 Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会 japan.atomic.bomb@gmail.com https://sites.google.com/view/japanatomicbomb/ @Aug/6/2016, JAB
2017年1月31日火曜日
2017年1月29日日曜日
2017年1月26日木曜日
2017年1月25日水曜日
2017年1月23日月曜日
2017年1月21日土曜日
広島原爆の被災地図と人的被災と物的被災の実態
広島市内における1945年8月6日に炸裂した広島原爆の被害状況の地図である。1945年11月30日の広島県警本部の発表によれば、広島市内の利用面積は3,306万㎡のうち被災面積は3,341万㎡(92%)、焼失面積は1,322万㎡(40%)に達した。民間人の人的被害状況は、死者は78,150人、重傷者9,428人、軽症者27,997人、行方不明3,983人、被災者176,987人で合計306,645人に及ぶ。赤半線内は焼失地域であり、建物数の76,327戸うち92%が被災して、全焼戸47,969戸、全懐戸3,818、半焼半壊18,369戸であった。赤半線内は焼失地域であり、広島市細工町19番地の爆心地から、青半線は爆心地より半径0.5km, 1km, 1.5km, 2.0km, 2.5km, 3.0km, 3.5km, 4.0kmの各500mの範囲の距離を示した。赤丸◯は軍隊諸部隊と青丸◯は救急救護所の配置である。(広島原爆医療史、1961年)
2017年1月19日木曜日
長崎市はポツダム宣言の直前から原爆目標に追加
長崎原爆投下する作戦計画のために多数の航空写真をモザイクのように組み合わせて、長崎市内の攻撃目標を1945年7月に策定した。7月26日のポツダム宣言の直前の7月24日に長崎市が初めて原爆目標にされた。長崎原爆であるファット・マン(F31)の投下目標地点を示している。長崎市内の三菱製鋼・兵器工場であるNo.90.36-546を攻撃目標とした。写真上の114601である常盤橋を落下の照準地点とした。常磐橋から賑橋の周囲から7,500フィート(約2.3Km)の南北約2.5Km, 東西約1.5Kmの爆撃地帯を示した。航空図面はボックス・カー(V-77)のB-29の操縦者、爆撃投下者、観測者等が使用した。8月9日の投下地点は照準点から北北西約3.4Kmも離れた地点である松山町171番地上で炸裂した。
2017年1月17日火曜日
2017年1月14日土曜日
2017年1月11日水曜日
2017年1月9日月曜日
2017年1月8日日曜日
2017年1月6日金曜日
2017年1月3日火曜日
2017年1月1日日曜日
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