Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会

Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会: 日本平和市民が原爆の悲惨な体験をした「日本思い出の原子爆弾」の真実を授けたい。日本原子爆弾の代弁者として多くの世界平和市民の心に送りたい。いつかの時代も、原子爆弾の加害者と被害者にされるのは市民です。原子爆弾を知らない世代の平和市民に「思い出の原爆」の真実を覚えてほしい。原爆と平和市民の真実を記録するブログには、その関心や意義だけではなく、JNAB の掲載に対する閲覧注意[NSFW]も慎重に留意してください。「思い出の原子爆弾」の真実は平和市民による原子爆弾禁止の真の抑止力となります。 Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会 japan.atomic.bomb@gmail.com https://sites.google.com/view/japanatomicbomb/ @Aug/6/2016, JNAB [NSFW: Not Safe For Work]

Japan No Atomic Bomb (JNAB)  日本原爆禁止の会
2019年4月30日火曜日

長崎原子爆弾に被爆した福田須磨子は生涯をかけた原子爆弾の禁止に向けて、長崎原爆の証言を続けて原爆症で絶命した。(長崎)

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長崎原子爆弾に被爆した福田須磨子は生涯をかけて、終末期になるまで原子爆弾の禁止に向けて、長崎原爆の証言を続けた。1974年4月2日に52歳で、ついに絶命した。  福田須磨子は、1922年3月23日に長崎市浜口町43番地に生誕した。1945年8月9日に、長崎男子師範学校会計...
2019年4月20日土曜日

長崎原子爆弾により多数の腐敗していた被爆死体を野火で火葬した遺骨が地面に散乱していた。(長崎)

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長崎原子爆弾が1945年8月9日午前11時2分に投下して炸裂した。長崎市内は、強烈で甚大な防風、熱射、放射線により、壊滅した。爆心地の周辺では、身元も特定できない膨大な被爆死した死体が散乱していた。長崎市内は壊滅して火葬場も破壊されて火葬できなかった。致し方なく焼け跡から、燃...
2019年4月10日水曜日

世界初の水素爆弾の実験が、1952年10月31日にマーシャル諸島のエニウェトク環礁で強行された。

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 世界初の水素爆弾の実験が、1952年10月31日にマーシャル諸島のエニウェトク環礁の無人環礁 で強行された。中部太平洋のマーシャル諸島にあるエニウェトク環礁では、アメリカにより約44回もの核実験が実施された。水素爆発の爆発規模のTNT火薬の総量では約3万3千キロトン、広島原...
2019年4月6日土曜日

原子爆弾の熱線による重度の背中の火傷に伴う疼痛により、救護所で背中を下にできず苦悶してうつ伏せに寝込むんだ。(広島)

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広島原子爆弾が1945年8月6日午前8時15分に投下されて炸裂した。広島原子爆弾の炸裂から発する激烈なるすさまじい爆風の圧力、爆風、熱線の威力が複合して押し寄せた。男性は、熱線を悲惨な重度の火傷を背中一面に受傷した。火傷は、ひどいびらんにより、一面に表皮が破れ落ちた。そ...
2019年3月31日日曜日

長崎原子爆弾に被爆した女子学徒動員は無表情に悲しみ、大村海軍病院の看護婦から処置を受けた。(長崎)

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長崎原子爆弾に被爆した女子学徒動員は無表情に、1945年8月10日午後3時頃に、大村海軍病院の看護婦から処置を受けた。両腕と顔面から頭皮部の火傷に包帯を巻かれた。海軍看護師の周囲には、膨大な被爆者が殺到して、次から次へと手早く救護した。重態の被爆者は、道ノ駅から北東約20km...
2019年3月23日土曜日

似島検疫所に救護された被爆者は、広範囲に火傷面が化膿して膿瘍を形成した。(広島)

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広島原子爆弾より、広範囲に重度の火傷を顔面から両方の上肢に被爆して、似島検疫所に救護された。その後に放射能被爆による免疫機能の低下も伴って、広範囲にわたり火傷面が化膿して膿瘍を形成した。  原子爆弾の火傷は、光線や熱線による高熱により、屋外にて爆撃に暴露した。特に裸体にな...
2019年2月17日日曜日

真夏の炎天下で、救援トラックに長崎原子爆弾で瀕死の被爆者が避難して集合していた。(長崎)

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長崎原子爆弾は、1945年8月9日午前11時2分に長崎市内に投下されて炸裂した。翌日の午前中には、爆心地から南方の約1.1kmの三菱製鋼所第一工場鍛錬工場の付近に、救援トラックは立ち往生した。救援の炎天下で、救援トラックに瀕死の被爆者が避難して集合していた。1人はトラックの荷...
2019年2月8日金曜日

被爆した少女は16歳になって、広島原爆病院で、顔面から頸部のケロイドの形成術を9回以上もの植皮手術を受けた。(広島)

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広島原子爆弾により、4歳の少女が爆心地から約2kmの福島町の自宅の外で被爆した。被爆して気がついた時は、家の下敷きになっていた少女は、ご近所に助けられた。家内にいた家族は無傷であった。  16歳の思春期になって、広島原爆病院に1957年5月12日に入院して10月21...
2019年1月26日土曜日

長崎原子爆弾により、30歳の女性が左側頸部と右頬部に介達弾片創を受傷して、大村海軍病院に収容された。(長崎)

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長崎原子爆弾により、30歳の女性が左側頸部と右頬部に介達弾片創を受傷した。大村海軍病院の八病舎に1945年9月6日に収容された。女性は左側頸部に斜めに約2cmと右頬部に約2cmの介達弾創部を認めた。右頬部の上方に弾創部の瘢痕があった。弾創部の周囲は、びまん性に膨隆した。リバノ...
2019年1月19日土曜日

広島原子爆弾により成人男性が特に身体の露出部があった顔面から両上肢に重度の熱傷を被爆して、比治山国民学校で救護された。(広島)

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広島原子爆弾に被爆して、熱戦と放射能による熱傷により比治山国民学校の救護所に収容された。比治山は爆心地から東に約1.8kmに位置して、爆心地側の西側は壊滅したが、東側は比治山が遮って被災が少なかった。成人男性が、特に身体の露出部があった顔面と両上肢に重度の熱傷を被爆した。左...
2019年1月13日日曜日

広島原子爆弾の被爆者の収容者名簿の掲示板に、被爆者の親族が群がり肉親の名前を捜した。(広島)

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広島原子爆弾で、行方不明になった肉親をや被爆者を捜すために、焼け残った日本銀行のビル前に親族が群がった。そこには多数の収容者名簿が掲載されていた。そこで抹消されていた我が子の名前を見出して、その場に泣き崩れる母親の姿も多かった。肉親の名前が見い出せなかった親族は、その他の焼け...
2018年12月29日土曜日

長崎原子爆弾により市電と乗客は猛烈な被爆をして、猛烈な爆風と火玉で完全に市電と乗客は粉々に粉砕して即死した。(長崎)

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長崎原子爆弾の爆心地から南南東の方向に約200mの地点で、長崎市電と乗客が猛烈な被爆をした。右上方から炸裂した猛烈な爆風と火玉で、完全に市電と乗客は粉々に粉砕して即死した。長崎市内の大橋行きの市電と乗客は、鉄橋の付近で被爆した。電車の台車だけは線路内に脱線して、それ以外の市電...
2018年12月22日土曜日

広島原子爆弾で顔面の周囲を火傷して、眼球の周囲にケロイドの瘢痕により、眼瞼の開閉が制限された。(広島)

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広島原子爆弾が1945年8月6日午前8時15分に投下された。直後に炸裂して、爆心地より爆風・熱線・放射能が無差別に市民らに突き刺さった。原子爆弾に被爆して受傷した膨大な被爆者が、原爆症で苦悶しながら原爆死した。熱戦による火傷だけでなく、その後に醜いケロイドの瘢痕が残存した。特...
2018年12月16日日曜日

長崎原子爆弾の被害を免れた新興善国民学校の救護所は、被爆者を4列に寝かせ1教室に約60人で1階から3階までで数100人を収容した。(長崎)

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長崎原子爆弾により1945年8月9日に炸裂した直後に大きな被害を受けた長崎医科大学附属病院が、8月10日から新興善国民学校を救護所として被爆者の診療を開始した。4列に寝かせ1教室あたり60人を収容して、1階から3階まで数100人を収容した。収容患者は次々に死亡して、入院患者は...
2018年12月9日日曜日

未亡人の母親は日雇い人夫として、広島原爆の被爆によるケロイド状の顔面をタオルで隠しながら、幼児に休息時に母乳を飲ませた。(広島)

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広島原子爆弾が1945年8月6日午前8時15分に投下され炸裂して、夫は被爆死した。母親は被爆による顔面に強度の熱傷により顔面はケロイド状となった。毎日の生活を支えるために日雇い人夫として重労働をした。その休憩時間に路上に横たわり休息取りながら、顔面をタオルで隠しながら。幼児に...
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