Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会

Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会: 日本平和市民が原爆の悲惨な体験をした「日本思い出の原子爆弾」の真実を授けたい。日本原子爆弾の代弁者として多くの世界平和市民の心に送りたい。いつかの時代も、原子爆弾の加害者と被害者にされるのは市民です。原子爆弾を知らない世代の平和市民に「思い出の原爆」の真実を覚えてほしい。原爆と平和市民の真実を記録するブログには、その関心や意義だけではなく、JNAB の掲載に対する閲覧注意[NSFW]も慎重に留意してください。「思い出の原子爆弾」の真実は平和市民による原子爆弾禁止の真の抑止力となります。 Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会 japan.atomic.bomb@gmail.com https://sites.google.com/view/japanatomicbomb/ @Aug/6/2016, JNAB [NSFW: Not Safe For Work]

Japan No Atomic Bomb (JNAB)  日本原爆禁止の会
2021年12月25日土曜日

広島原子爆弾に被爆した銀行の建物の床に、毛布を敷いて横たわる被爆した母親は火傷をして泣きじゃくる子どもをあやしていた。

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  1945年10月6日に、毛布を敷いた銀行の建物の床に、被爆した母親と子どものが横たわっていた。母親は火傷をして皮膚がただれて泣きじゃくる子どもをあやしていた。広島市の中心部に位置して被災した日本銀行広島支店などの建物は、一時的な救護所に改装された。広島を消滅させた原子爆弾の猛...
2021年12月18日土曜日

広島赤十字病院にて、聴診している小児科医が看護婦とともに、傷つき泣いている広島の原爆症の乳児を診察して手当をした。

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広島赤十字病院にて、小児科医が看護婦とともに広島の原爆症の乳児を診察して手当をした。戦争に何ら関係もない幼い児童の身体が、悲惨にも被爆して傷つき苦しみながら泣いた。原爆被爆者調査により、大人より子どものほうが放射線から受ける影響は大きい。数百ミリシーベルト以上の被ばくでは10歳以...
2021年12月11日土曜日

広島原子爆弾からの放射能に被爆した男性の被爆者は、広島赤十字原爆病院に入院して手当を受けて、やせ細ってベッド上に座っていた。

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広島原子爆弾が、1945年8月6日午前8時15分に投下されて炸裂した。広島原子爆弾からの放射能に被爆した男性の被爆者は、広島赤十字原爆病院に入院して手当を受けた。入院した男性は、顔面から上半身を被爆して、やせ細ってベッド上に座っていた姿が、1945年9月30日に撮影された。広島赤...
2021年12月4日土曜日

広島原子爆弾の爆心地東南東に約2.6kmの第1国民学校は、比治山で爆風や熱線が防御されて、救護所に活用されて被爆者が殺到した。

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  広島原子爆弾の爆心地から東南東に約2.6kmの広島市段原山崎町の第1国民学校(現在の段原中学校)に救護所が開設された。第一国民学校は、比治山によって、1945年8月6日午前8時15分の原子爆弾の投下から炸裂の爆風による崩壊や熱線による火災が防御された。段原地域には、広島市内か...
2021年11月27日土曜日

広島原子爆弾で、建物内は燃え尽き、窓は吹き飛び、枠は曲がった袋町国民学校のコンクリート造りの西校舎は被爆者の救護所となった。

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広島原子爆弾の被害の大きかった袋町国民学校の救護所は、残存した西校舎の設備が整わず階段下に治療室を設置した。翌日から医師約2人、看護師約2人の体制で、火傷、感染症、出産などの患者約350人に対応した。その後は被爆者が殺到した。教室は病室として使われ、毎日多くの人が原爆病で死亡した...
2021年11月20日土曜日

広島原子爆弾が炸裂した後に爆心地周辺で救護活動をした元日本軍兵士が5年後に、残留放射線の被爆により白血病が発症して死亡した。

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広島原子爆弾が炸裂時には、元日本軍青年兵士は広島市内では被爆していなかった。広島原子爆弾が投下されて炸裂した直後から、爆心地周辺で救護活動をしていた元日本軍兵士である。その5年後に、白血病が発症して死亡した。残留放射線に強く被爆して、白血病が発症したと推定された。白血病による結節...
2021年11月13日土曜日

1945年9月に、日本占領軍総司令部(GHQ)は、サイクロトロンを原爆開発用機材と見なして、理化学研究所の2台を破壊して東京湾に捨てた。

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1945年9月に、日本占領軍総司令部(GHQ)は、サイクロトロンを原爆開発用機材と見なして、仁科芳雄が作った理化学研究所の2台を破壊して東京湾に捨てた。さらに大阪大学の1台と京都大学の1台も大阪湾に廃棄した。太平洋戦争中の日本では、ウランがなく、資源も乏しく原子爆弾の開発は不可能...
2021年11月6日土曜日

長崎原子爆弾により新興善特設救護病院内に、死亡した被爆者を火葬して、引き取り手のない無縁の遺骨を安置所に集積した。

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長崎原子爆弾により新興善特設救護病院内にて多数の被爆者が原爆病で死亡した。被爆者を火葬して、その遺骨を安置所に集積した。遺骨を引き取る身内もなくて、残された遺骨が保管された。新興善国民学校に仮設された病院内には、火葬された犠牲者の遺灰骨が入った多数の骨箱が並べて一時的に保管された...
2021年10月30日土曜日

日本陸軍兵士の22歳男性が広島爆心地から約1.1kmで被爆した。被爆後に頭髪部は完全に脱毛して、点状出血と発熱が出現して、8月31日に死亡した。

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広島原子爆弾が1945年8月6日に炸裂した時に、日本陸軍兵士の22歳男性が広島市内で被爆した。被爆地点は爆心地から約1.1kmで、中島国民学校付近の土手で休息中に被爆した。その周辺に10数名の兵士は同様な原爆症を発症した。被爆後に21日目から脱毛が始まり、頭髪部は完全に脱毛した。...
2021年10月23日土曜日

広島日赤病院に外来受診した若い女性は、爆心地の南1.7kmの南大橋で、顔面から上腕に火傷を被爆した。外来には大勢の被爆者が参集して満杯となった。

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広島赤十字病院は、1945年8月6日に広島市に原子爆弾が投下された直後から救護活動を実施した。外来受診に母親の荷車で通っていた若い女性(陸田さん)は、爆心地の南1.7kmの南大橋で被爆した。顔面から上腕にかけたや火傷を被爆しいた。外来には大勢の被爆者が参集して満杯となり、被爆者は...
2021年10月16日土曜日

長崎原子爆弾の被爆により息もたえだえの被爆者の青年は、全身が焼きただれ、半裸で胸部から両上肢の火傷にガーゼを当たられた。

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長崎原子爆弾の被爆により息もたえだえの被爆者の青年は、全身が焼きただれて、半裸のままに胸部から両上肢の火傷にガーゼを当たられた。被爆者はほとんど全裸のままで、衣服はちぎれて、熱傷をうけた皮膚ははがれて真っ赤な肉芽が露出し、全身がやけこけて、胸部の肋骨が浮き出た。1945年9月23...
2021年10月9日土曜日

被爆者の死体は、原子爆弾の影響を調査研究する対象となり、夏日で蝿が回って悪臭が漂う不潔な木造の仮設の小屋で、次々と病理解剖された。

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被爆して救護所で死亡した被爆者の死体は、原子爆弾の影響を調査研究する対象となった。草津国民学校救護所に救護所に臨時病理解剖所が設置された。 1945年10月13日に、京都府立医科大学の荒木教授により、 夏日で蝿が回って悪臭が漂う不潔な木造の仮設の小屋などで、次々と病理解剖された。...
2021年10月2日土曜日

24歳の日本軍兵士は、広島原子爆弾の爆心地から約1kmで被爆し宇品病院で体温約40.3度に上昇し白血球数は約1,300に低下した。

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広島原子爆弾の爆心地から約1kmの兵舎で日本軍兵士の沖田博(24歳男性)が被爆して宇品病院に収容された。ほとんど医療は受けれずに検査ばかりが継続された。一時期に約40.3度まで体温が上昇して、白血球数は約1,300まで低下した。その時点で、頭皮や口腔内、歯肉の写真(下記)が撮影さ...
2021年9月25日土曜日

広島原子爆弾の爆心地から約1.2kmで着物を着ていた女性が被爆して、衣服とストラップや縫い目が、火傷に影響を及ぼした。

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広島原子爆弾の爆心地から約1.2kmで着物を着た女性が被爆した。タイトな衣服とストラップや縫い目が、火傷を保護する効果があった。火傷は衣服が最もきつかった部位である右肩の三角筋で最も広範囲に及んだ。下着の紐と着物の縫い目が右肩を保護した。暗色の着物により熱線が影響を受けた。被爆者...
2021年9月18日土曜日

新興善救護所に入所した男子の被爆者は、原爆症の傷口が猛烈な疼痛と高熱で泣き叫び、口唇周囲に深い潰瘍と壊死を伴った。

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  新興善救護所に入所した長崎原子爆弾に被爆した男子の被爆者は、原爆症の傷口が猛烈な疼痛と高熱で泣き叫んだ。顔面から口唇周囲に深い潰瘍と壊死を伴った。傷口もわずかに湿らす程度であった。周囲の被爆者は次々に死亡して救護所外で死後処理されて、被爆者は常に死の恐怖を伴った。  新興善救...
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