大村海軍病院に長崎原爆のきのこ雲の接近と救護隊の派遣
長崎市から約20kmも離れている大村海軍病院は、大村海軍航空隊のために1942年10月から開設された。大村飛行場は壊滅的な空襲を受けて1945年5月14日に閉鎖となった。大村海軍病院から8月9日に撮影された長崎原爆からのきのこ雲であった。きのこ雲は、拡大しながら移動して、きのこ雲の真中に紅蓮の焔が燃えて接近して来た。きのこ雲は光と音を伴いながら、港町であった長崎市を全滅させた。それと同時に3つの落下傘も目撃された。大村海軍病院からきのこ雲までの距離は4572mであった。午後3時になってから電話連絡で救護隊を派遣し始める。