2018年1月7日日曜日

第一国民学校に殺到した被爆者は、隙間もなくむしろに横たわり、家族は側で見守った。(広島)

広島原子爆弾が炸裂して爆心地から東南約2.6kmの広島市立第一国民学校は、残存した東校舎と講堂が臨時救護所となった。その生徒は、約150名中の約50名が被爆死して、広島市街地から東側に避難した被爆者が殺到した。1945年8月8日頃には、ゆかや壁などにむしろを引いて、隙間もなく被爆者を収容した。家族は身内の被爆者の側で心配しながら見守るしかなかった。