2019年4月10日水曜日

世界初の水素爆弾の実験が、1952年10月31日にマーシャル諸島のエニウェトク環礁で強行された。

 世界初の水素爆弾の実験が、1952年10月31日にマーシャル諸島のエニウェトク環礁の無人環礁で強行された。中部太平洋のマーシャル諸島にあるエニウェトク環礁では、アメリカにより約44回もの核実験が実施された。水素爆発の爆発規模のTNT火薬の総量では約3万3千キロトン、広島原子爆弾の約16キロトンの約2,000発分を上回った。日本のマグロ漁船「第五福竜丸」は、1954年3月1日の水素爆弾から被曝したビキニ環礁の約23回より多かった。エニウェトク環礁は無人環礁となり、地球原爆化から地球水爆化による地球撲滅にむけた実験地点となった。


 
 太平洋戦争にて、アメリカ軍の膨大で圧倒的な武力で、エニウェトク環礁の日本軍兵士は刀折れ矢もつきて、全員が死亡する玉砕をした。バンザイ突撃して戦死するだけでなく、日本刀で切腹、狙撃銃をのどに当て、足趾で引き金を引いて自決した。
 1944年2月20日にエニウェトク環礁にアメリカ軍歩兵が上陸を開始した。上陸から3時間後に日本軍からの反撃で一時的に進撃が頓挫した。後援の海兵連隊が派遣されて、再び侵攻を盛り返した。2月21日から23日午後まで、散発的な抵抗を受け続けた。日本軍兵士による2月21日早朝と午後に突撃するバンザイ突撃が、エニウェトク環礁の最後の軍事的抵抗となった。日本軍約3,560人の犠牲者は、捕虜以外は全員が死亡した。アメリカ軍約10,376人の犠牲者は、戦死と行方不明は約195名、戦傷者は約521名に達した。エニウェトク環礁は核実験となる完全な無人環礁となった。