2023年8月19日土曜日

44歳の女性が、1945年8月9日にアメリカ軍により投下され炸裂した長崎原子爆弾に被爆して、木の枝により頭部を負傷した。同日8月9日に長崎市から北東約17kmの大村海軍病院に搬送されて収容された。

長崎市内で44歳の女性が、1945年8月9日にアメリカ軍により投下され炸裂した長崎原子爆弾に被爆して、木の枝により頭部を負傷した。同日8月9日に長崎市から北東約17kmの大村海軍病院に搬送されて収容された。彼女の頭部、顔面にわたりY字形の挫創があった。その創面から汚穢、中等度の出血があった。彼女のカルテの記録には、殺菌消毒薬であるリバノールガーゼを貼用することにしたという記事があるのみであった。

 ドイツ製薬メーカーであるバイエル社が、局所消毒薬のアクリノールを製品化して、1921年にリバノールの商品名で販売を開始した。アクリノールは、黄色の色素で、連鎖球菌、黄色ブドウ球菌等の化膿菌である一部の一般細菌類に対する殺菌消毒作用を示した。粘膜の消毒や化膿局所の消毒に使われた。感染に対する防御機能をもつ白血球、マクロファージがアクリノールで障害を受けるため2018年以降は販売が中止された。

 大村海軍病院は長崎県大村市にあり、長崎市から東北方向、大村湾を挟んで直線に約19kmほどの距離に位置した。大村海軍病院は本来は軍人のための病院であった。火傷の患者が多いのに薬にも不足した。クレゾール液を薄めてガーゼに浸し、リバノールガーゼの代わりに皮膚に張って交換の処置に留まった。大村海軍病院には長崎原子爆弾の投下されて、約9時間後から続々と被爆者が担ぎ込まれた。初日8月9日だけでも重症者が多く758人が搬送された。8月10日明け方までに収容者の100人以上が死亡した。8月10日にさらに300人を収容して、最終的な収容人数は、1,700人にも達した。

 大村海軍病院に、8月9日午後3時頃に警察から長崎市に死傷者が多数発生し、長崎市内炎上中との電話連絡が入った。陣内軍医中尉を隊長とし衛生兵、日赤看護婦を以て編成せる救護隊を派遣した。午後5時頃に大村市長山口尚章から電話があり、長崎の死傷者は無数であり、鉄道沿線の病院に収容された。負傷者は浦上から別仕立の汽車にて大村駅へ輸送し、大村駅から消防自動車を総動員して病院までの負傷者の運搬を行った。午後8時に長崎から負傷者が到着した。重症の被爆者を折り重ねて、詰め込んだ軍用輸送車とトラックが大村海軍病院に到着した。