2018年5月4日金曜日

長崎原子爆弾に被爆した14歳の女子学徒が19日目に大村海軍病院で原爆症で死亡した。(長崎)

長崎原子爆弾が1945年8月9日に長崎市内で炸裂した。同日に、14歳の女子学徒が、長崎市内から北東約20kmも離れた大村海軍病院に護送され、六病舎に入院した。顔面から頚部、左前腕、左膝蓋部に重度の熱傷を被爆した。応急的に消毒液を湿したガーゼを火傷に貼付けた。全身状態が重篤となり、8月12日から毎日リンゲルを600ccを輸液した。入院して19日目の8月28日から脈拍が微弱で不整となり、胸部痛で苦悶した。体温が38.2から39.4度を上下して、午後1時30分危篤に陥り、午後2時30分に死亡した。皮膚には大小のうっ血斑をがあり、死斑は身体の下垂部にも広がった。毛髪は脱毛しかけ、無数に脱落していた。その後に詳細な病理解剖をされた。



2018年5月14日 Japan Atomic Bomb 日本原爆の会 視聴回数 20,000回