Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会: 日本平和市民が原爆の悲惨な体験をした「日本思い出の原子爆弾」の真実を授けたい。日本原子爆弾の代弁者として多くの世界平和市民の心に送りたい。いつかの時代も、原子爆弾の加害者と被害者にされるのは市民です。原子爆弾を知らない世代の平和市民に「思い出の原爆」の真実を覚えてほしい。原爆と平和市民の真実を記録するブログには、その関心や意義だけではなく、JNAB の掲載に対する閲覧注意[NSFW]も慎重に留意してください。「思い出の原子爆弾」の真実は平和市民による原子爆弾禁止の真の抑止力となります。 Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会 japan.atomic.bomb@gmail.com https://sites.google.com/view/japanatomicbomb/ @Aug/6/2016, JNAB [NSFW: Not Safe For Work]
2018年5月29日火曜日
2018年5月26日土曜日
2018年5月20日日曜日
広島原子爆弾の閃光を両手で両眼を防ぎ、両手の手背部以外の顔面は重度の熱傷を受けた。(広島)
広島原子爆弾が1945年8月6日に炸裂して、日本軍将校であったO大尉は、一瞬の閃光を見上げた。その瞬間に両手で両眼をふさいだ。両眼をふさいだ両手の手背部は、閃光からの直射で重度の熱傷を受けた。次日の8月7日に、広島江波分院に護送された。両眼の周囲から顔面は軽度の火傷で収まったが、両手で防げなかったその他の顔面周囲は重度の火傷を受傷した。江波分院は、広島第1陸軍病院江波分院として、東練兵場の江波兵器学校を救護所として8月6日に設置されて、約10,500名を収容した。救護所は8月7日時点では約11ケ所のみと広島県は記録した。周辺地域からの緊急救援は、三原市医師会(広島市から72km)は「8月6日午前9時、三原警察署より広島市戦災につき救援すべき通報に接し、既に組織してある救護班員を非常招集して、午前11時トラック2 台にて出発」と記録された。
2018年5月4日金曜日
長崎原子爆弾に被爆した14歳の女子学徒が19日目に大村海軍病院で原爆症で死亡した。(長崎)
長崎原子爆弾が1945年8月9日に長崎市内で炸裂した。同日に、14歳の女子学徒が、長崎市内から北東約20kmも離れた大村海軍病院に護送され、六病舎に入院した。顔面から頚部、左前腕、左膝蓋部に重度の熱傷を被爆した。応急的に消毒液を湿したガーゼを火傷に貼付けた。全身状態が重篤となり、8月12日から毎日リンゲルを600ccを輸液した。入院して19日目の8月28日から脈拍が微弱で不整となり、胸部痛で苦悶した。体温が38.2から39.4度を上下して、午後1時30分危篤に陥り、午後2時30分に死亡した。皮膚には大小のうっ血斑をがあり、死斑は身体の下垂部にも広がった。毛髪は脱毛しかけ、無数に脱落していた。その後に詳細な病理解剖をされた。
2018年5月14日 Japan Atomic Bomb 日本原爆の会 視聴回数 20,000回
2018年4月22日日曜日
青年医学生は、長崎原爆の放射能を大量に浴びて、髪の毛が抜け、ぐったりと横たわる少女の耳から血液検査のために採血した。(長崎)
長崎原子爆弾の1945年8月9日の炸裂による重度の被爆者が、爆心地から南約3kmの新興善特設救護病院に護送された。被爆者から1945年12月末までに急性期(2週間まで)、亜急性期(2月間まで)、維持期(3月以後)の急性障害が発症した。
長崎原子爆弾が1945年8月9日11時2分に、アメリカ軍の爆撃機B-29「グレート・アーティスト」から投下されて炸裂から、間もなく長崎市の新興善国民学校の特設救護所に、被爆した少女は救護された。九州帝国大学の医学生だった青年は9月上旬に、少女は放射能を大量に浴びて、髪の毛が抜け、ぐったりと横たわる少女の耳から血液検査のために採血した。血液中の白血球の減少を検査した。朝日新聞西部本社のカメラマンだった故・富重安雄氏が撮影した。青年だった浜清さんは、できる限りの事をするも、次々と亡くなる被爆者を前に無力を感じた。全身が焼けただれ、身体にガラス片が刺さった被爆者などが次々と運び込まれた。長崎原爆の投下から3日後の1945年8月12日頃は、爆心地に近い山里国民学校の救護所で、青年は傷口を消毒したり強心剤を打ったりするだけで一杯だった。被爆者らは次々に息絶えで被爆死して、広場に積み重ねられる死体は高く積み重ねた。
急性期の即死は崩壊下での圧死や焼死と全身熱傷による。大量放射線の被爆者は全身の脱力感、吐気、嘔吐等の症状が現れ、数日間に発熱、下痢、吐血等による全身衰弱で10日前後までに死亡した。造血組織や腸の上皮細胞の病理的障害が認められた。
亜急性症状は、吐き気、嘔吐、下痢、脱力感、各種出血、白血球減少、赤血球減少等であった。骨髄、リンパ節、脾臓などの組織が破壊され、顆粒球や血小板が減少し、感染の抵抗力の低下と出血症状が現れた。この時期の死因の多くは重度感染症と敗血症であった。 床に横たわる被爆者から9月24日 の回診で耳たぶから血液を採取して検査するしかなかった。
放射線被爆の急性障害症状は、脱毛、出血、口腔咽頭部病変及び白血球減少であった。発生率は被爆線量の増大と、50rad(0.5Gy)で5〜10%から、300rad(3Gy)で50〜80%と強相関的に増加した。脱毛は被爆後8〜10週に起こった。
放射線障害の維持期なら、被爆の3〜4か月後から始まり、内臓諸器官の機能回復、脱毛から発毛、各種血球の増殖、正常化が起こり始めた。
2018年3月24日土曜日
2018年3月18日日曜日
2018年3月10日土曜日
2018年2月24日土曜日
2018年2月12日月曜日
2018年2月11日日曜日
2018年2月4日日曜日
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