2017年4月24日月曜日

B-29爆撃による日本全土空襲と広島長崎原爆の死者数が同等で約50万人弱に達する

 フランクリン・ルーズベルト大統領の1939年1月14日の年頭教書から軍用機が増強された。1940年5月16日に桁外れに年間5万機を求めた。1943年6月に完成した長距離の戦略爆撃機は、半径3219kmと高度9144mmもあるB-29を30億ドルで開発した。1942年9月からは原子爆弾の開発であるマンハッタン計画に20億ドルを費やした。すでに日本は1941年12月の真珠湾から1942年8月にはソロモン諸島で全滅し敗走し続けていた。B-29は人や建物も燃え尽くす焼夷弾を開発して空爆して日本全土を焦土化した。B-29は1944年6月16日の八幡空襲から日本全土の都市部等を無差別に集中的に空爆した。多く市民に警報を発令するも防空壕に逃げ遅れた。その死者(行方不明は除く)は本土(沖縄を除く)の空襲で約22万5千人、広島原爆で約15万人、長崎原爆で約7万4千人で総計で約44万9千人と推定された(出典で格差)。広島原爆と長崎爆弾の2発だけで日本全土の空襲死者に相当した。