2017年7月20日木曜日

ジョン・ハーシーは1946年8月31日にニューヨーカー誌から広島原子爆弾の被爆実話が初めて公表された。

世界ではじめて原子力爆弾が1945年8月6日に広島市に投下され炸裂した。広島市は一瞬にしてすべてが破壊された。1944年に小説「アダノの鐘」でピューリッアー小説文門でも賞を取っていたジョンハーシーは、ニューヨーカー誌から従軍記者として派遣され、原爆投下から9カ月後の広島市内に訪れた。日本からは記事が世に出せない。生々しい写真や映像、報告は、米占領軍に阻止された。しかし、彼は原爆投下後の広島市内を自らの足で歩き、生き残った6人らの真実の声や経験談だけを集めて記録して、1946年8月31日にニューヨーカー誌から約3万語の被爆実話が初めてに公表された。