長崎原子爆弾により少年は長崎の病院に収容された。1945年8月9日の炸裂から約5カ月がたっても、少年は重度の火傷とケロイドに苦しんでいた。カラー映画フィルムの記録『にんげんをかえせ(1982年)』である。
アメリカ国立公文書館に原子爆弾の核被害を記録した未公開のカラー映画フィルムが保存された。10そのフィルムを、10フィートを1単位に、市民からのカンパにより市民運動によって日本に戻した。反核・平和の記録映画三部作『にんげんをかえせ』、『予言』、『歴史 核狂乱の時代』が製作された。国際的に上映する運動が展開されたこの「10フィート映画運動」は1980年度の日本ジャーナリスト会議特別賞を受賞した。
原子爆弾関連で1980年からの市民運動で実現した10フィート運動の作品である。第1作は、被爆時と1980年代の被爆者の映像から核問題の本質に迫った「にんげんをかえせ」(1982年)である。第2次大戦の原爆投下直後にアメリカ軍戦略爆撃調査団が撮影した85,000フィートのフィルムの一部を日本が買い戻した。記録映画を作って国際的に上映した草の根の「10フィート運動」により、市民からの寄付をもとに3本が作られた。第2作は、核実験や原爆後遺症に悩む被害者の姿を描き、欧米8カ国で上映された「予言」(1982年)、アメリカ・マンハッタン計画、第2次世界大戦、ベトナム戦争、80年代の核配備の実態をえぐる「歴史=核狂乱の時代」(1983年)の3部作である。
