第二目標地の小倉市から第三目標地の長崎市に当日の原爆投下が変更となる。
長崎原子爆弾となるファット・マンを搭載したB-29のボックス・カーは、第一目標地の広島原爆後から、第二目標地として小倉市を定めていた。1945年6月18日の下記の航空写真から爆心地を小倉市の造兵廠とした。造兵廠では武器や弾薬等の製造・設計・修理を貯蔵する軍事施設であった。1945年8月9日にテニアン島から離陸して、午前9時44分に小倉市の上空に到達した。しかし、8月8日に南7kmの八幡市への空襲のため、小倉市は霧や煙に覆われて目視投下が困難となった。次第に残余燃料が枯渇しため、10時30分に第三目標地である長崎市に急遽に変更した。一時的に目視投下が可能となり、ファット・マンを投下して11時2分に炸裂した。長崎市の予定爆心地の商業地域よりも、約3Kmも北西部の浦上地区に落下し炸裂した。