2018年3月18日日曜日

3歳の女児が長崎原子爆弾から約12日後に護送されて、大村海軍病院で間もなく死亡した。(長崎)

長崎原子爆弾が炸裂した1945年8月9日から約12日間も経過した後に、3歳の女児が長崎市内から北東20kmの大村海軍病院に護送された。入院した直後には、前頭部と両方の下腿部の火傷などの外傷にガーゼと包帯処置された。重篤な病状になった原爆症で重病であると診断されるも、為す術もなく記録も途絶えて、間もなく死亡した。