2018年5月26日土曜日

17歳の男子工員が、長崎原子爆弾で上半身に2度の熱傷を被爆して2日後に死亡した。(長崎)

長崎原子爆弾が1945年8月9日に長崎市内で炸裂した。同日に、17歳の男子行員が、長崎市内から北東約20kmも離れた大村海軍病院に護送され、8月10日に六病舎に収容された。重度に被爆して、熱線により顔面から頚部、左前胸部、左上肢にかけて第2度の熱傷を受傷した。火傷は深さによりI度熱傷からIII度熱傷に分類され、深達性II度の熱傷は、治癒期間は長く瘢痕や瘢痕拘縮を残す。収容された当初から全身状態が悪化して寝たきり状態となる。翌日の8月11日午後6時には急激に重態となり死亡に至った。