2017年2月20日月曜日

大本営は原子爆弾を特殊爆弾と、正義は挫けず見よ敵の残虐と発表する

 大本営は1945年8月7日15時にB29が新型爆弾を8月6日に広島市に使用した事を発表した。1. 8月6日広島市は敵B29の少数機の攻撃により相当の被害を生じたり 2. 敵は攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり、と大本営は原子爆弾を新型爆弾と発表した。
 日本の読売報知新聞は、新型爆弾が落下傘で中空爆発、家屋倒壊と火災。正義は挫けず、見よ敵の残虐。6日8時過ぎB29少数機が広島市上空に侵入し少数の爆弾を投下した。このため相当数の家屋が倒壊すると共に市街地に火災が生じた。敵が使用したこの新型爆弾は落下傘がついて居り落下する途中で破裂したもののやうである。新型爆弾の威力について当局は早急に調査を進めているから近く判明する筈であるが軽視は禁物である。
 「欧米国は日頃キリスト教を信奉する人道主義を呼称しながらこの非人道的残虐を併せてせることにより"人道の敵"と烙印を押されたもので彼の仮面は完全に剥げ落ち日本は正義において既に勝ったというべきである」と社説した。


2017年2月19日日曜日

人類史上で初めての原子爆弾を搭載し投下したエノラ・ゲイ爆撃機

人類史上で初めて原子爆弾(リトル・ボーイ)を搭載し広島市に投下したB-29の爆撃機である。ティベッ(Paul Warfield Tibbets, Jr.)機長が、自分の母親の名前であるエノラ・ゲイ・ティベッツ(Enola Gay Tibbets)からエノラ・ゲイ(ENOLA GAY)と機体前方の搭乗口に記載した。原子爆弾を秘守するため、垂直尾翼の機体番号をマル「R」、認識番号を「86」に変更した。1995年にエノラ・ゲイと原爆被害の歴史をスミソニアン博物館に展示する計画が、退役軍人の猛反対で頓挫して、別館で機体のみ監視して展示している。



2017年2月18日土曜日

第二目標地の小倉市から第三目標地の長崎市に当日の原爆投下が変更となる。

長崎原子爆弾となるファット・マンを搭載したB-29のボックス・カーは、第一目標地の広島原爆後から、第二目標地として小倉市を定めていた。1945年6月18日の下記の航空写真から爆心地を小倉市の造兵廠とした。造兵廠では武器や弾薬等の製造・設計・修理を貯蔵する軍事施設であった。1945年8月9日にテニアン島から離陸して、午前9時44分に小倉市の上空に到達した。しかし、8月8日に南7kmの八幡市への空襲のため、小倉市は霧や煙に覆われて目視投下が困難となった。次第に残余燃料が枯渇しため、10時30分に第三目標地である長崎市に急遽に変更した。一時的に目視投下が可能となり、ファット・マンを投下して11時2分に炸裂した。長崎市の予定爆心地の商業地域よりも、約3Kmも北西部の浦上地区に落下し炸裂した。



2017年2月17日金曜日

長崎原爆の機長の生還に広島原爆の機長が笑顔で出迎え

"Box Car"と呼称するB-29爆撃機が、"Fat Man"と呼称するプラトニウム型原子爆弾を長崎市に投下して1945年8月9日午前11時2分に炸裂した。"Box Car"を操縦していた機長のチャールズ・スウーィニー(Charles W. Sweenney)は、同日の夕方にテニアン島に帰還する。エノラ・ゲイ(Enola Gay)を操縦して"Little Boy"と呼称するウラニウム型原子爆弾を落下させたティベッツ(Paul Warfield Tibbets,Jr)から祝福の出迎えを受ける。左のスウィーニーと右のティベットが握手している。その後には両者ともに勲章を受賞して昇進して英雄の扱いをうけて、両者ともに生涯にわたり戦争終結のための原子爆弾の投下を正当化した。



2017年2月16日木曜日

広島原爆が炸裂して20分経過しても巨大化するキノコ雲

広島市に投下された原子爆弾は1945年8月15日8時15分に炸裂した。その原爆の爆心地からキノコ雲が発生して広島市を覆い尽くす。キノコ雲はの爆発後から20分経過した時にも巨大化している。そのキノコ雲を広島市の近郊である海田市町の地上から撮影した。広島市内から東南東に約10kmの海田市町から捉えた。ほとんどは海からの開拓地であり小高い3つの山に囲まれた海田市町は、広島と呉の軍事拠点に挟まれた交流点であった。



2017年2月14日火曜日

長崎原爆となるファット・マンの後尾と先端に開発者と兵士の落書き

   長崎原爆となる「ファット・マン」の製造の過程で、その尾翼に多数の開発者の名前等と落書きの記載が1945年6月26日に撮影された。
"Jone Kroes, Dwine Wisoonsin From N.Y. H Wein,  H.P. Lemay Phom 1/c USN LT.(n) Tomlison USN LT(n) Jecy J.E. Millward PHOM 3/c USN, A Schmidt lot of Part. Heres to you!  Art Josephs Chicago, D. Jtoco, Dr Salatin, Koester" などと記載されている(UCN: United State Navy, アメリカ海軍の略称)
さらに爆弾の先頭部にも自分らの名前とメーッセージを記載している。原爆を投下することを栄誉ある兵士の気取りをしている。この書き込みの写真は最高極秘情報として守秘された。




2017年2月12日日曜日

広島原爆のリトル・ボーイのスミソニアン展示の抗議と被災の削除

広島市に投下されたウラニウム型の原子爆弾であるリトル・ボーイのレプリカの複製である。原子爆弾の資料から原型の細部にわたる型と色彩を再現したレプリカである。写真中央には、起爆安全装置である橙色の安全プラグが装填されている。リトル・ボーイのレプリカは、ダレス空港脇にあるスミソニアン航空宇宙博物館に展示している。博物館の別館には、リトル・ボーイを投下したエノラ・ゲイのB-29爆撃機も展示された。1995年にアメリカ軍の退役軍人団体がエノラ・ゲイの展示に抗議され、その展示は頓挫した。2003年にアメリカ軍の広島原爆の正当性に疑義を起こす被災や歴史資料は削除されて別館で展示している。長崎原爆を投下したボックス・カーのB-29爆撃機は、オハイオ州のデイトン空軍博物館で長崎原爆のファット・マンとともに展示されている。



2017年2月11日土曜日

原子爆弾と原子力発電の主流となる長崎原爆のプルトニウム核分裂

 長崎原爆が投下されて1945年8月9日午前11時2分にプルトニウム型の原子爆弾が炸裂した直後の連続写真である。核分裂は、プルトニウム(Pu)の原子核が崩壊した不安定核が分裂してより軽い元素を発生する過程である。原子爆弾の周囲の爆薬が破裂して、プルトニウムが一気に圧縮されて、一挙に放出された中性子線を吸収してが一挙に核分裂の連鎖反応が起こる。その核分裂の威力は、TNT爆弾として22000トンに相当した。大気圏内で核分裂を繰り返し、発生した殺傷能力は、熱線が35%、爆風が50%、15%が放射能であると推定された。核分裂は一部であり、残存して放射能を発生するプルトニウム5トンは長崎市内に散布された。早い爆発と遅い爆発の到達点を一致させ、中心部を強力に圧縮する爆発波を生起する32面体の球状のファット・マン型がマンハッタン計画で難産された。世界の原子力発電は,核分裂を起こし生成が最も確実なプルトニウムを利用したプルサーマルを着実に推進している。








2017年2月9日木曜日

世界初の大型爆弾であると広島原爆を通報する米国新聞

 ニューヨーク・タイムズは、第2次世界大戦中にクロスワード・パズルを掲載したアメリカ合衆国の絶大な影響力のある新聞である。政府による一定の介入を求めるリベラル派であり、連合国による戦後秩序の正当性を主張している。1945年8月6日の広島原爆について、1945年8月7日の朝刊で8月6日の広島原爆をトップ・ニュースで掲載している。
「世界初の原子爆弾を日本に投下した。そのミサイルは、TNT火薬が2000トンの威力がある。トルーマン大統領は、敵国の日本に対して、一つの弾薬の落下としてを警告した。」大統領からの通告の内容のみを掲載して、アメリカ軍からの情報統制により原子爆弾を単なる一つ大型の強力な爆弾であるとして通報している。その他のほとんどの紙面に太平洋戦争の好戦状況だけを報道している。









2017年2月7日火曜日

パプキン型の試験用の爆撃実験から長崎原爆の準備をする

ヴェンドーバー飛行場ではファットマン型の内発性の試験用爆弾が作成された。それは454kgのかぼちゃ様であるパンプキン型のTNT火薬の軽筒爆弾である。その模擬原子爆弾の実験のために7月26日に大阪市、26日に島田市、7月29日に保谷市などに無差別に投下して爆発させた。その後にテニアン島にて試験弾F13を使用したファット・マンを1945年8月1日に実験した。試験爆弾の機能と作動を確認した。さらに改修された試験弾F18が用意されて8月5日にB-29に搭載され投下実験をした。8月5日までに完全に8月9日の長崎原爆となるF31は完成段階に入り8月8日に最終実験がされた。







2017年2月6日月曜日

極秘にユタ州砂漠の空軍基地で広島原爆の投下準備と訓練

広島原爆を投下するまでにエノラ・ゲイに搭載するため試験用の模擬リトル・ボーイで予備的実装が行われた。1945年5月にアメリカ合衆国のユター州の西端の砂漠の中のウェンドーバー空軍基地で極秘実験とB-29を改装搭載が行われた。ウェンドーバー空軍基地から原子爆弾のリトル・ボーイを積んだエノラ・ゲイがテニアン島に向けて飛び立った。グローブス小将の指令で、1944年9月には新基地と新原爆部隊が機密に編制され、広島原爆を投下するエノラ・ゲイに搭乗するティベット大佐が任命された。テニアン島に到着の直後には1944年7月にはウェンドーバー空軍基地は消滅した。


2017年2月5日日曜日

長崎原爆が炸裂した瞬間の火玉のカラー映像

長崎原爆が長崎市内の爆心地より炸裂した瞬間の最初のカラー映像の一コマである。ファット・マンのプルトニウム原子爆弾が、破裂した直後の熱球の中心部は最高数百万度に達する。瞬時に直径約280m、表面温度約5000度の火の玉に膨隆して、長崎市内を強烈な熱風と放射能を吐き出す。長崎市内をほとんど全面的に覆うきのこ雲を形成する。



2017年2月3日金曜日

広島原爆で燃え上がる全壊と全焼の広島市内

広島原爆が1945年8月6日午前8時15分に炸裂してから約1時間後には広島市内の大部分が炎上した。広島原爆のきのこ雲が発生した直下の広島市内からは、広範囲な火事を伴う煙状雲に覆われた。広島原爆の激しい爆風と熱射線により、大部分の家屋が全壊と全焼して、多くの市民が全壊により圧迫された窒息あるいは周囲から火事を伴うことで逃げ遅れて焼死した。日本式家屋はほとんどが木造であり、鉄筋コンクリートのビル以外は全壊と全焼を伴った。



2017年2月2日木曜日

原爆のきのこ雲が最も早期に地上から撮影された長崎原爆

長崎原爆が炸裂した1945年8月9日の午前11時2分から約15分後の午前11時17分頃のきのこ雲である。爆心地から南南西の約10kmの離島である香焼島の川南造船所から撮影された。原子爆弾の中で地上から撮影されたきのこ雲では最も早期に撮影されている。長崎原爆を投下したボックス・カーは香焼島の上空に向けて退避している。離島であった香焼島は1960年代の埋め立てで長崎半島化している。



2017年2月1日水曜日

広島原爆の1時間後に広島市内を完全に覆うきのこ雲

広島原爆が広島市内に1945年8月6日午前8時15分に炸裂してから約1時間後にアメリカ軍の偵察機から撮影したきのこ雲である。爆心地から南東約80kmも離れたから撮影している。原爆の炸裂から30秒後から広島市内に向けて被災状況を観測するために回旋していた。約30000フィート(9.14km)も上空を飛行するも、きのこ雲はそれ以上も高く膨張して舞い上がる。紫色の炎の中から灰色の巨大雲が中心部は赤色の塊となってきのこ雲が暴発して来る。広島市内はほとんど完全に溶岩のような火砕流に飲み込まれる。南東端の呉市の休山から瀬戸内海の倉橋島から江田島までは霧がかるも、それより北東は完全にきのこ雲に覆われる。