2017年3月22日水曜日

広島原子爆弾となるリトル・ボーイの爆撃機への搭載前

   広島原子爆弾を投下したB-29の爆撃機エノラ・ゲイに搭載をする直前のピット内に設置されたウラニウム型原子爆弾のリトル・ボーイであった。それは人類史上で初めて核戦争で使用された。リトル・ボーイは全長3.12m、最大直径0.75m、総重量約5000Kgでウラニウム235で製造された。リトル・ボーイは予備核実験がされずに実戦使用したために機密に取り扱われた。エノラ・ゲイは爆弾倉を開いて、ピット上に後方から移動して停止した。リトル・ボーイ原爆本体はピット内から油圧ジャッキで持ち上げられてエノラ・ゲイ機内の爆弾倉へ搭載された。





2017年3月21日火曜日

ファットマンと名付けられたプラトニウム型の長崎原子爆弾

長崎原爆で使用されたファット・マンと呼ばれたプルトニウム型の原子爆弾の実物である。爆発の威力は、広島原爆で使用されたウラニウム型の原子爆弾よりも僅かに強力であった。人類史上の最初の原子爆弾のトリニティ実験は、ファット・マンを用いた。重量は4,670Kg、全長3.66m、爆発威力はTNT火薬の約22,000Kgに相当した。多数の関係者はファット・マンの尾翼に署名をして自己顕示と名誉を示した。

2017年3月20日月曜日

核実験の成功から核戦争時代の幕開け

 1945年7月16日にアメリカ合衆国のアラモゴード砂漠にて人類史上で初めての原子爆弾の実験に成功する。世界で最初の人工的な原子爆弾が午前5時29分45秒に炸裂させた。爆心地はニューメキシコ州ソコロの南東48Kmの地点であった。このトリニティ実験の名称は、キリスト教の三位一体説のトリニティから引用された。この時点から人類の歴史で初めて核戦争の時代に突入した。広島原爆のウラン235ではなく長崎原爆のプルトニウムを内蔵したガジェットの名称の核爆弾で核実験の爆発をさせた。






2017年3月19日日曜日

第二番目の核兵器である原子爆弾が長崎市に投下して炸裂

第二原爆であるファットマンがボックス・カーのB - 29から長崎市に落とされた。 長崎原爆は、1945年8月9日午前11時02分に、長崎市の南東端の常磐橋の目標地点から3.4Km遠い北西部の長崎市市街地の松山町で爆発した。 爆発の瞬間には、長崎原爆は丸い白い雲から赤い雲に変わり、巨大なキノコのような白い雲に変わった。 最大のキノコ雲は標高10,000mにも上昇した。 黒いキノコ雲の茎の雲は、その基盤から二次的に立ち昇る。 長崎原爆は、初めて16mmのカラーフィルムビデオを持つボックス・カーから記録された。

2017年3月18日土曜日

人類初の核戦争である広島原爆の炸裂

人類初の核戦争にて1945年8時15分に日本の広島市に原子爆弾が炸裂した。原爆搭載機のエノラ・ゲイからリトル・ボーイの原子爆弾が広島市の目標地点である相生橋に向けて投下された。その近隣である広島市細工町19番地の島病院の上空の580mで爆裂した。




2017年3月7日火曜日

広島原爆のウラン235による原子核分裂連鎖反応の爆発と熱源の原理

  総ての物質の原子は、中心の原子核と周囲の電子群から構成される。原子核内の正電気の陽子と電気のない中性子の数は物質で安定し強固である。しかし、ウラン235の原子核は、中性子を吸収すると分裂を繰り返して中性子を放出する。その中性子が分裂したウラン235を再分裂を引き起こす。放出された中性子が浪費しないように、ウラン235だけを限界体積まで濃縮すると、猛烈な超高速なる核分裂連鎖反応が連続する。80回の連鎖だけで、約10の24乗もの核分裂を起こす。同じ質量の石炭と比較しても260万倍以上ものカロリーを発生する。天体の太陽や星の爆発と熱源となる原子核反応が原子爆弾に応用された。


2017年3月5日日曜日

長崎原爆型により人類を深刻な危機に陥れる深刻な核兵器の実験

 長崎原爆と同型のプルトニウム239型の原爆を使用したトリニティ実験が1945年7月16日午前5時29分に実施された。原子爆弾が炸裂した地表面のゼロ地点から炸裂した。原爆の炸裂して0.25秒後の火球を超高速カメラで撮影した一コマである。火球は直径は約310mに達している。熱線はこれから2秒までに熱線の90%が火球から放出された。爆風は約2秒前後で最大となった。2秒まで急速に増化する大量のガンマー線が放出されて、まわりの空気と反応して紫色に発光した。
 原爆をTNT火薬の爆発と比較すると、1) 1,000万倍以上もの莫大なる爆発力、2)破滅的な衝撃波を伴う爆風、3)瞬時は数百万度まで達する 4) 人体に深刻な障害を起こす放射能の放出 5) 強力なガンマー線から電磁波の発生で人体だけでなく都市機能まで麻痺から停止する。原爆をTNT火薬とは複合的な桁違いの威力で人類を危機に陥れる。



2017年3月4日土曜日

広島原爆は100万分の1秒以内にウラン235が核分裂連鎖反応した

 広島原爆はウラン235を砲身式の爆薬で臨界量を超えた時点で中性子を衝突させて、核分裂連鎖反応を起こした。100万分の1秒の核分裂連鎖反応の瞬間に、ウラン235の約50Kgの内約700gで、超核爆発エネルギーが放出された。数百万度の超高温、数十万気圧、ガンマー線・電磁波・中性子が原爆から拡散する。周囲の大気と衝突しながら噴火しながら熱線と衝撃波を炸裂した。核分裂のエネルギーの約5%が初期放射線となり、約30%が熱線、約50%が爆風、約10%が残留放射線を暴発しながら。
 人類史上初のトリニティ実験の超高速度カメラで撮影された。1) 100万分の1秒で、原爆による火球の炸裂点から衝撃波が発生した。2)  100万分の2秒で、衝撃波は地表から同心円状に拡散する。3) 爆風が砂漠を巻き上げながら拡散する。
 この過程から、100万分の1秒で原爆は炸裂して火球が出現して、その周囲には爆圧・熱線・放射線から青白く発光した。


2017年3月1日水曜日

長崎原爆はプルトニウム239を球状から爆縮する原子爆弾装置である

 ニューヨークのマンハッタンに隣接したスタテン島に貯蔵した約1200トンのウラン鉱石から原子爆弾の開発と製造がされた。そのウラン235はウラン238にわずか0.7%しか含有されていない。そのウラン238に中性子を吸収させることで原子炉内から大量のプルトニウム239を精製できた。それに含有するプルトニウム240が自発核分裂し中性子を放出しても、プルトニウム239が核分裂の連鎖反応が起こる原子爆弾装置が開発された。
 プルトニウム型の長崎原爆は、中心部から中性子を発生させ、それをプルトニウムに吸収させる。さらにウラン238を取り巻き、外側から球状に点在する爆弾を暴発させる。プルトニウムが爆縮されて中心部の中性子と核分裂の連鎖反応が発生して超破壊的エネルギーで炸裂する。プルトニウムの爆縮が極めて困難であり、1944年7月16日のトリニティ実験で史上初めて成功した。



2017年2月28日火曜日

広島原爆は高濃縮ウラン235が衝突し核分裂連鎖反応で超破壊的エネルギーが暴発した

   原子爆弾を太平洋戦争の終結前までに完成させるマンハッタン計画に20億ドルを投じ1942年9月より具体化した。広島原爆の原材料であるウラン235を高濃縮するのには電磁分離法に5億ドルと気体拡散法に5億ドルを必要とした。1945年3月から気体拡散法からウラン235が低濃縮された。電磁分離法でそのウラン235を高濃縮された50kgを1945年8月直前までに間に合わせて供給できた。
   それらに比較して広島原爆のウラン型原子爆弾の爆破装置は容易に設計できた。ウラン235を砲弾状部分とリング状部分に分離した。それを爆破する時に、砲弾状の部分を火薬爆弾でリング部分に衝突して合体させる。その衝撃で中性子が発生してウラン235の核分裂の連鎖反応で超破壊的エネルギーが暴発した。




2017年2月27日月曜日

世界初の長崎原爆型のプルトニウム型原爆の爆破実験

 世界初の原子爆弾は、1945年7月16日午前5時29分にニューメキシコ州のアラモードで爆破実験が行われた。この実験は、同州のロスアラモス研究所で秘密裏に開発と予備準備がされた。トタン板で囲まれた小屋には爆破実験用の5トンもの球体に36kgプルトニウムが挿入された原子爆弾が極秘に設置されていた。プルトニウムは純度を高めるのは困難な原子であるため、ワシントン州ハンフォードで巨大なサイクロトロン施設で純化された。通常爆発で純粋なプルトニウムの表面に等しく圧縮する爆縮のために球体に設計された。プルトニウム型のファット・マンが長崎市に投下されて炸裂した。






2017年2月26日日曜日

人類史上で初めてとなる広島原爆の開発主導者と実施主導者

人類史上で初めての原子爆弾の実質的な開発主導者と実施主導者である。右側の人物が開発者であるジュリアス・ロバート・オッペンハイマーである。左側の人物が実施者のレスリー・リチャード・グローブス小将である。1939年8月2日付のシラードとアインスタインがナチスドイツの原爆危機をルーズベルト大統領に通告した事がマッタッタン計画に至る原爆開発の発端となった。1942年9月からグローブスが実施責任者に就任して22億ドルの予算であるマンハッタン計画を極秘に陸軍内で原爆を実施した。1943年3月にオッペンハイマーはロスアラモス国立研究所長に就任して原爆の開発を主導した。1945年7月16日にオッペンハイマーはトリニティ原爆実験を成功させ、7月23日にグローブスが広島等に原爆投下を指令した。













2017年2月23日木曜日

大村海軍病院に長崎原爆のきのこ雲の接近と救護隊の派遣

長崎市から約20kmも離れている大村海軍病院は、大村海軍航空隊のために1942年10月から開設された。大村飛行場は壊滅的な空襲を受けて1945年5月14日に閉鎖となった。大村海軍病院から8月9日に撮影された長崎原爆からのきのこ雲であった。きのこ雲は、拡大しながら移動して、きのこ雲の真中に紅蓮の焔が燃えて接近して来た。きのこ雲は光と音を伴いながら、港町であった長崎市を全滅させた。それと同時に3つの落下傘も目撃された。大村海軍病院からきのこ雲までの距離は4572mであった。午後3時になってから電話連絡で救護隊を派遣し始める。


2017年2月22日水曜日

B-29爆撃による日本全土空襲と広島長崎原爆の死者数が同等で約50万人弱に達する

 フランクリン・ルーズベルト大統領の1939年1月14日の年頭教書から軍用機が増強された。1940年5月16日に桁外れに年間5万機を求めた。1943年6月に完成した長距離の戦略爆撃機は、半径3219kmと高度9144mmもあるB-29を30億ドルで開発した。1942年9月からは原子爆弾の開発であるマンハッタン計画に20億ドルを費やした。すでに日本は1941年12月の真珠湾から1942年8月にはソロモン諸島で全滅し敗走し続けていた。B-29は人や建物も燃え尽くす焼夷弾を開発して空爆して日本全土を焦土化した。B-29は1944年6月16日の八幡空襲から日本全土の都市部等を無差別に集中的に空爆した。多く市民に警報を発令するも防空壕に逃げ遅れた。その死者(行方不明は除く)は本土(沖縄を除く)の空襲で約22万5千人、広島原爆で約15万人、長崎原爆で約7万4千人で総計で約44万9千人と推定された(出典で格差)。広島原爆と長崎爆弾の2発だけで日本全土の空襲死者に相当した。




2017年2月21日火曜日

米軍の長崎原爆とソ連の満州の侵入が1945年8月9日に同期する

 大本営は1945年8月9日にソ連越境攻撃、満州東、西部より侵入、日満自衛のため交戦、北満州、北朝鮮の要地を爆撃を発表し、日本の朝日新聞は8月10日に一面初に掲載する。8月8日にモロトフ通告でソ連は対日宣戦を布告し、8月9日にソ連は満州里、虎頭へ越境したと報道した。
 西部軍管区司令部から1945年8月9日に発表された長崎原爆を日本の朝日新聞は8月10日の一面次に掲載した。長崎市に新型爆弾、大型二機侵入、被害僅少と報道する。8月9日午前11時に大型二機は長崎市に侵入し、新型爆弾らしきものを使用せり。一機でも退避して、皮膚の露出は大禁物である。壕には必ず掩蓋しシャツでは水腫を通告した。
 ローマ法王機関紙は8月6日の広島への新型爆弾を、非人道的な破壊手段であると8月7日にリスボンで非難した。