Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会: 日本平和市民が原爆の悲惨な体験をした「日本思い出の原子爆弾」の真実を授けたい。日本原子爆弾の代弁者として多くの世界平和市民の心に送りたい。いつかの時代も、原子爆弾の加害者と被害者にされるのは市民です。原子爆弾を知らない世代の平和市民に「思い出の原爆」の真実を覚えてほしい。原爆と平和市民の真実を記録するブログには、その関心や意義だけではなく、閲覧にも留意しましょう。「思い出の原子爆弾」の真実は平和市民による原子爆弾禁止の真の抑止力となります。 Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会 japan.atomic.bomb@gmail.com https://sites.google.com/view/japanatomicbomb/ @Aug/6/2016, JAB
2017年2月28日火曜日
広島原爆は高濃縮ウラン235が衝突し核分裂連鎖反応で超破壊的エネルギーが暴発した
原子爆弾を太平洋戦争の終結前までに完成させるマンハッタン計画に20億ドルを投じ1942年9月より具体化した。広島原爆の原材料であるウラン235を高濃縮するのには電磁分離法に5億ドルと気体拡散法に5億ドルを必要とした。1945年3月から気体拡散法からウラン235が低濃縮された。電磁分離法でそのウラン235を高濃縮された50kgを1945年8月直前までに間に合わせて供給できた。
2017年2月27日月曜日
2017年2月26日日曜日
人類史上で初めてとなる広島原爆の開発主導者と実施主導者
人類史上で初めての原子爆弾の実質的な開発主導者と実施主導者である。右側の人物が開発者であるジュリアス・ロバート・オッペンハイマーである。左側の人物が実施者のレスリー・リチャード・グローブス小将である。1939年8月2日付のシラードとアインスタインがナチスドイツの原爆危機をルーズベルト大統領に通告した事がマッタッタン計画に至る原爆開発の発端となった。1942年9月からグローブスが実施責任者に就任して22億ドルの予算であるマンハッタン計画を極秘に陸軍内で原爆を実施した。1943年3月にオッペンハイマーはロスアラモス国立研究所長に就任して原爆の開発を主導した。1945年7月16日にオッペンハイマーはトリニティ原爆実験を成功させ、7月23日にグローブスが広島等に原爆投下を指令した。
2017年2月23日木曜日
2017年2月22日水曜日
B-29爆撃による日本全土空襲と広島長崎原爆の死者数が同等で約50万人弱に達する
フランクリン・ルーズベルト大統領の1939年1月14日の年頭教書から軍用機が増強された。1940年5月16日に桁外れに年間5万機を求めた。1943年6月に完成した長距離の戦略爆撃機は、半径3219kmと高度9144mmもあるB-29を30億ドルで開発した。1942年9月からは原子爆弾の開発であるマンハッタン計画に20億ドルを費やした。すでに日本は1941年12月の真珠湾から1942年8月にはソロモン諸島で全滅し敗走し続けていた。B-29は人や建物も燃え尽くす焼夷弾を開発して空爆して日本全土を焦土化した。B-29は1944年6月16日の八幡空襲から日本全土の都市部等を無差別に集中的に空爆した。多く市民に警報を発令するも防空壕に逃げ遅れた。その死者(行方不明は除く)は本土(沖縄を除く)の空襲で約22万5千人、広島原爆で約15万人、長崎原爆で約7万4千人で総計で約44万9千人と推定された(出典で格差)。広島原爆と長崎爆弾の2発だけで日本全土の空襲死者に相当した。
2017年2月21日火曜日
米軍の長崎原爆とソ連の満州の侵入が1945年8月9日に同期する
大本営は1945年8月9日にソ連越境攻撃、満州東、西部より侵入、日満自衛のため交戦、北満州、北朝鮮の要地を爆撃を発表し、日本の朝日新聞は8月10日に一面初に掲載する。8月8日にモロトフ通告でソ連は対日宣戦を布告し、8月9日にソ連は満州里、虎頭へ越境したと報道した。
西部軍管区司令部から1945年8月9日に発表された長崎原爆を日本の朝日新聞は8月10日の一面次に掲載した。長崎市に新型爆弾、大型二機侵入、被害僅少と報道する。8月9日午前11時に大型二機は長崎市に侵入し、新型爆弾らしきものを使用せり。一機でも退避して、皮膚の露出は大禁物である。壕には必ず掩蓋しシャツでは水腫を通告した。
ローマ法王機関紙は8月6日の広島への新型爆弾を、非人道的な破壊手段であると8月7日にリスボンで非難した。
大本営は1945年8月9日にソ連越境攻撃、満州東、西部より侵入、日満自衛のため交戦、北満州、北朝鮮の要地を爆撃を発表し、日本の朝日新聞は8月10日に一面初に掲載する。8月8日にモロトフ通告でソ連は対日宣戦を布告し、8月9日にソ連は満州里、虎頭へ越境したと報道した。
西部軍管区司令部から1945年8月9日に発表された長崎原爆を日本の朝日新聞は8月10日の一面次に掲載した。長崎市に新型爆弾、大型二機侵入、被害僅少と報道する。8月9日午前11時に大型二機は長崎市に侵入し、新型爆弾らしきものを使用せり。一機でも退避して、皮膚の露出は大禁物である。壕には必ず掩蓋しシャツでは水腫を通告した。
ローマ法王機関紙は8月6日の広島への新型爆弾を、非人道的な破壊手段であると8月7日にリスボンで非難した。
2017年2月20日月曜日
大本営は原子爆弾を特殊爆弾と、正義は挫けず見よ敵の残虐と発表する
大本営は1945年8月7日15時にB29が新型爆弾を8月6日に広島市に使用した事を発表した。1. 8月6日広島市は敵B29の少数機の攻撃により相当の被害を生じたり 2. 敵は攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり、と大本営は原子爆弾を新型爆弾と発表した。
日本の読売報知新聞は、新型爆弾が落下傘で中空爆発、家屋倒壊と火災。正義は挫けず、見よ敵の残虐。6日8時過ぎB29少数機が広島市上空に侵入し少数の爆弾を投下した。このため相当数の家屋が倒壊すると共に市街地に火災が生じた。敵が使用したこの新型爆弾は落下傘がついて居り落下する途中で破裂したもののやうである。新型爆弾の威力について当局は早急に調査を進めているから近く判明する筈であるが軽視は禁物である。
「欧米国は日頃キリスト教を信奉する人道主義を呼称しながらこの非人道的残虐を併せてせることにより"人道の敵"と烙印を押されたもので彼の仮面は完全に剥げ落ち日本は正義において既に勝ったというべきである」と社説した。
2017年2月19日日曜日
2017年2月18日土曜日
第二目標地の小倉市から第三目標地の長崎市に当日の原爆投下が変更となる。
長崎原子爆弾となるファット・マンを搭載したB-29のボックス・カーは、第一目標地の広島原爆後から、第二目標地として小倉市を定めていた。1945年6月18日の下記の航空写真から爆心地を小倉市の造兵廠とした。造兵廠では武器や弾薬等の製造・設計・修理を貯蔵する軍事施設であった。1945年8月9日にテニアン島から離陸して、午前9時44分に小倉市の上空に到達した。しかし、8月8日に南7kmの八幡市への空襲のため、小倉市は霧や煙に覆われて目視投下が困難となった。次第に残余燃料が枯渇しため、10時30分に第三目標地である長崎市に急遽に変更した。一時的に目視投下が可能となり、ファット・マンを投下して11時2分に炸裂した。長崎市の予定爆心地の商業地域よりも、約3Kmも北西部の浦上地区に落下し炸裂した。
2017年2月17日金曜日
長崎原爆の機長の生還に広島原爆の機長が笑顔で出迎え
"Box Car"と呼称するB-29爆撃機が、"Fat Man"と呼称するプラトニウム型原子爆弾を長崎市に投下して1945年8月9日午前11時2分に炸裂した。"Box Car"を操縦していた機長のチャールズ・スウーィニー(Charles W. Sweenney)は、同日の夕方にテニアン島に帰還する。エノラ・ゲイ(Enola Gay)を操縦して"Little Boy"と呼称するウラニウム型原子爆弾を落下させたティベッツ(Paul Warfield Tibbets,Jr)から祝福の出迎えを受ける。左のスウィーニーと右のティベットが握手している。その後には両者ともに勲章を受賞して昇進して英雄の扱いをうけて、両者ともに生涯にわたり戦争終結のための原子爆弾の投下を正当化した。
2017年2月16日木曜日
2017年2月14日火曜日
長崎原爆となるファット・マンの後尾と先端に開発者と兵士の落書き
長崎原爆となる「ファット・マン」の製造の過程で、その尾翼に多数の開発者の名前等と落書きの記載が1945年6月26日に撮影された。
"Jone Kroes, Dwine Wisoonsin From N.Y. H Wein, H.P. Lemay Phom 1/c USN LT.(n) Tomlison USN LT(n) Jecy J.E. Millward PHOM 3/c USN, A Schmidt lot of Part. Heres to you! Art Josephs Chicago, D. Jtoco, Dr Salatin, Koester" などと記載されている(UCN: United State Navy, アメリカ海軍の略称)
さらに爆弾の先頭部にも自分らの名前とメーッセージを記載している。原爆を投下することを栄誉ある兵士の気取りをしている。この書き込みの写真は最高極秘情報として守秘された。
2017年2月12日日曜日
広島原爆のリトル・ボーイのスミソニアン展示の抗議と被災の削除
広島市に投下されたウラニウム型の原子爆弾であるリトル・ボーイのレプリカの複製である。原子爆弾の資料から原型の細部にわたる型と色彩を再現したレプリカである。写真中央には、起爆安全装置である橙色の安全プラグが装填されている。リトル・ボーイのレプリカは、ダレス空港脇にあるスミソニアン航空宇宙博物館に展示している。博物館の別館には、リトル・ボーイを投下したエノラ・ゲイのB-29爆撃機も展示された。1995年にアメリカ軍の退役軍人団体がエノラ・ゲイの展示に抗議され、その展示は頓挫した。2003年にアメリカ軍の広島原爆の正当性に疑義を起こす被災や歴史資料は削除されて別館で展示している。長崎原爆を投下したボックス・カーのB-29爆撃機は、オハイオ州のデイトン空軍博物館で長崎原爆のファット・マンとともに展示されている。
2017年2月11日土曜日
原子爆弾と原子力発電の主流となる長崎原爆のプルトニウム核分裂
長崎原爆が投下されて1945年8月9日午前11時2分にプルトニウム型の原子爆弾が炸裂した直後の連続写真である。核分裂は、プルトニウム(Pu)の原子核が崩壊した不安定核が分裂してより軽い元素を発生する過程である。原子爆弾の周囲の爆薬が破裂して、プルトニウムが一気に圧縮されて、一挙に放出された中性子線を吸収してが一挙に核分裂の連鎖反応が起こる。その核分裂の威力は、TNT爆弾として22000トンに相当した。大気圏内で核分裂を繰り返し、発生した殺傷能力は、熱線が35%、爆風が50%、15%が放射能であると推定された。核分裂は一部であり、残存して放射能を発生するプルトニウム5トンは長崎市内に散布された。早い爆発と遅い爆発の到達点を一致させ、中心部を強力に圧縮する爆発波を生起する32面体の球状のファット・マン型がマンハッタン計画で難産された。世界の原子力発電は,核分裂を起こし生成が最も確実なプルトニウムを利用したプルサーマルを着実に推進している。
2017年2月9日木曜日
世界初の大型爆弾であると広島原爆を通報する米国新聞
ニューヨーク・タイムズは、第2次世界大戦中にクロスワード・パズルを掲載したアメリカ合衆国の絶大な影響力のある新聞である。政府による一定の介入を求めるリベラル派であり、連合国による戦後秩序の正当性を主張している。1945年8月6日の広島原爆について、1945年8月7日の朝刊で8月6日の広島原爆をトップ・ニュースで掲載している。
2017年2月7日火曜日
2017年2月6日月曜日
2017年2月5日日曜日
2017年2月3日金曜日
2017年2月2日木曜日
2017年2月1日水曜日
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