Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会: 日本平和市民が原爆の悲惨な体験をした「日本思い出の原子爆弾」の真実を授けたい。日本原子爆弾の代弁者として多くの世界平和市民の心に送りたい。いつかの時代も、原子爆弾の加害者と被害者にされるのは市民です。原子爆弾を知らない世代の平和市民に「思い出の原爆」の真実を覚えてほしい。原爆と平和市民の真実を記録するブログには、その関心や意義だけではなく、閲覧にも留意しましょう。「思い出の原子爆弾」の真実は平和市民による原子爆弾禁止の真の抑止力となります。 Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会 japan.atomic.bomb@gmail.com https://sites.google.com/view/japanatomicbomb/ @Aug/6/2016, JAB
2017年3月30日木曜日
2017年3月29日水曜日
2017年3月28日火曜日
広島原爆の被災地図と人的被災と物的被災の実態
広島市内における1945年8月6日に炸裂した広島原爆の被害状況の地図である。1945年11月30日の広島県警本部の発表によれば、広島市内の利用面積は3,306万㎡のうち被災面積は3,341万㎡(92%)、焼失面積は1,322万㎡(40%)に達した。民間人の人的被害状況は、死者は78,150人、重傷者9,428人、軽症者27,997人、行方不明3,983人、被災者176,987人で合計306,645人に及ぶ。赤半線内は焼失地域であり、建物数の76,327戸うち92%が被災して、全焼戸47,969戸、全懐戸3,818、半焼半壊18,369戸であった。赤半線内は焼失地域であり、広島市細工町19番地の爆心地から、青半線は爆心地より半径0.5km, 1km, 1.5km, 2.0km, 2.5km, 3.0km, 3.5km, 4.0kmの各500mの範囲の距離を示した。赤丸◯は軍隊諸部隊と青丸◯は救急救護所の配置である。(広島原爆医療史、1961年)
2017年3月27日月曜日
長崎市はポツダム宣言の直前から原爆目標に追加された
長崎原爆投下する作戦計画のために多数の航空写真をモザイクのように組み合わせて、長崎市内の攻撃目標を1945年7月に策定した。7月26日のポツダム宣言の直前の7月24日に長崎市が初めて原爆目標にされた。長崎原爆であるファット・マン(F31)の投下目標地点を示している。長崎市内の三菱製鋼・兵器工場であるNo.90.36-546を攻撃目標とした。写真上の114601である常盤橋を落下の照準地点とした。常磐橋から賑橋の周囲から7,500フィート(約2.3Km)の南北約2.5Km, 東西約1.5Kmの爆撃地帯を示した。航空図面はボックス・カー(V-77)のB-29の操縦者、爆撃投下者、観測者等が使用した。8月9日の投下地点は照準点から北北西約3.4Kmも離れた地点である松山町171番地上で炸裂した。
2017年3月26日日曜日
2017年3月25日土曜日
2017年3月24日金曜日
2017年3月23日木曜日
2017年3月22日水曜日
2017年3月21日火曜日
2017年3月20日月曜日
2017年3月19日日曜日
2017年3月18日土曜日
2017年3月7日火曜日
2017年3月5日日曜日
長崎原爆型により人類を深刻な危機に陥れる深刻な核兵器の実験
長崎原爆と同型のプルトニウム239型の原爆を使用したトリニティ実験が1945年7月16日午前5時29分に実施された。原子爆弾が炸裂した地表面のゼロ地点から炸裂した。原爆の炸裂して0.25秒後の火球を超高速カメラで撮影した一コマである。火球は直径は約310mに達している。熱線はこれから2秒までに熱線の90%が火球から放出された。爆風は約2秒前後で最大となった。2秒まで急速に増化する大量のガンマー線が放出されて、まわりの空気と反応して紫色に発光した。
原爆をTNT火薬の爆発と比較すると、1) 1,000万倍以上もの莫大なる爆発力、2)破滅的な衝撃波を伴う爆風、3)瞬時は数百万度まで達する 4) 人体に深刻な障害を起こす放射能の放出 5) 強力なガンマー線から電磁波の発生で人体だけでなく都市機能まで麻痺から停止する。原爆をTNT火薬とは複合的な桁違いの威力で人類を危機に陥れる。
2017年3月4日土曜日
広島原爆は100万分の1秒以内にウラン235が核分裂連鎖反応した
広島原爆はウラン235を砲身式の爆薬で臨界量を超えた時点で中性子を衝突させて、核分裂連鎖反応を起こした。100万分の1秒の核分裂連鎖反応の瞬間に、ウラン235の約50Kgの内約700gで、超核爆発エネルギーが放出された。数百万度の超高温、数十万気圧、ガンマー線・電磁波・中性子が原爆から拡散する。周囲の大気と衝突しながら噴火しながら熱線と衝撃波を炸裂した。核分裂のエネルギーの約5%が初期放射線となり、約30%が熱線、約50%が爆風、約10%が残留放射線を暴発しながら。
人類史上初のトリニティ実験の超高速度カメラで撮影された。1) 100万分の1秒で、原爆による火球の炸裂点から衝撃波が発生した。2) 100万分の2秒で、衝撃波は地表から同心円状に拡散する。3) 爆風が砂漠を巻き上げながら拡散する。
2017年3月1日水曜日
長崎原爆はプルトニウム239を球状から爆縮する原子爆弾装置である
ニューヨークのマンハッタンに隣接したスタテン島に貯蔵した約1200トンのウラン鉱石から原子爆弾の開発と製造がされた。そのウラン235はウラン238にわずか0.7%しか含有されていない。そのウラン238に中性子を吸収させることで原子炉内から大量のプルトニウム239を精製できた。それに含有するプルトニウム240が自発核分裂し中性子を放出しても、プルトニウム239が核分裂の連鎖反応が起こる原子爆弾装置が開発された。
プルトニウム型の長崎原爆は、中心部から中性子を発生させ、それをプルトニウムに吸収させる。さらにウラン238を取り巻き、外側から球状に点在する爆弾を暴発させる。プルトニウムが爆縮されて中心部の中性子と核分裂の連鎖反応が発生して超破壊的エネルギーで炸裂する。プルトニウムの爆縮が極めて困難であり、1944年7月16日のトリニティ実験で史上初めて成功した。
登録:
投稿 (Atom)