2017年3月30日木曜日

広島原爆の炸裂15分後のきのこ雲の航空写真

広島原爆であるリトルボーイがエノラゲイB-29から広島市内の中心部に投下された。1945年8月6日午前8月15分に広島市に炸裂した。その直後から15分後の航空写真には広島市内の全体が原子爆弾により爆裂した。中心部の赤い茎から紫色の炎とキノコ雲が燃え上がる。高度は9400mから目視による照準で落下傘で投下された以上の高度までキノコ雲が舞い上がる。原爆による爆風により広島市内は全壊ならびに黒煙に覆われて一気に全焼した。右下が広島市の東南端から左下の西南端は軍事工場群である。



2017年3月29日水曜日

アメリカ軍が作成した長崎原爆の3日後の被爆状況図

アメリカ軍は長崎原爆の被害状況図を作成した。アメリカ軍の戦略爆撃調査団が、長崎原爆投下の3日後の1945年8月12日に撮影した長崎市の航空写真と地上調査に基づき作成した。人口密度は濃淡2色に色分けした上に、被爆地域を爆風と火災による5つの被爆状況に分類した。青が全壊、ピンクが全壊全焼、橙色が全焼、青緑が半壊、青緑の斜線が建物疎開、紫はその他の地域を示した。爆心地からの距離を350mごとに同心円で示した。



2017年3月28日火曜日

広島原爆の被災地図と人的被災と物的被災の実態

  広島市内における1945年8月6日に炸裂した広島原爆の被害状況の地図である。1945年11月30日の広島県警本部の発表によれば、広島市内の利用面積は3,306万㎡のうち被災面積は3,341万㎡(92%)、焼失面積は1,322万㎡(40%)に達した。民間人の人的被害状況は、死者は78,150人、重傷者9,428人、軽症者27,997人、行方不明3,983人、被災者176,987人で合計306,645人に及ぶ。赤半線内は焼失地域であり、建物数の76,327戸うち92%が被災して、全焼戸47,969戸、全懐戸3,818、半焼半壊18,369戸であった。赤半線内は焼失地域であり、広島市細工町19番地の爆心地から、青半線は爆心地より半径0.5km, 1km, 1.5km, 2.0km, 2.5km, 3.0km, 3.5km, 4.0kmの各500mの範囲の距離を示した。赤丸◯は軍隊諸部隊と青丸◯は救急救護所の配置である。(広島原爆医療史、1961年)



2017年3月27日月曜日

長崎市はポツダム宣言の直前から原爆目標に追加された

 長崎原爆投下する作戦計画のために多数の航空写真をモザイクのように組み合わせて、長崎市内の攻撃目標を1945年7月に策定した。7月26日のポツダム宣言の直前の7月24日に長崎市が初めて原爆目標にされた。長崎原爆であるファット・マン(F31)の投下目標地点を示している。長崎市内の三菱製鋼・兵器工場であるNo.90.36-546を攻撃目標とした。写真上の114601である常盤橋を落下の照準地点とした。常磐橋から賑橋の周囲から7,500フィート(約2.3Km)の南北約2.5Km, 東西約1.5Kmの爆撃地帯を示した。航空図面はボックス・カー(V-77)のB-29の操縦者、爆撃投下者、観測者等が使用した。8月9日の投下地点は照準点から北北西約3.4Kmも離れた地点である松山町171番地上で炸裂した。


2017年3月26日日曜日

広島原爆の投下目標がモザイク航空写真策で策定された

広島原爆投下する作戦計画のために多数の航空写真をモザイクのように組み合わせて、広島市内の航空写真を1945年4月に策定していた。7月16日に原爆実験が成功する3月以前から広島市が原爆目標計画にされた。広島原爆であるリトル・ボーイの投下地点を示して、広島市内の相生橋である目標基準をNo.90.30と指定した。相生橋を中心(東西の目盛: 063, 南北の目盛: 096)として半径70,00フィート(2.13Km)の同心円を描いている。航空図面はエノラ・ゲイB-29の操縦者、爆撃投下者、観測者等が使用した。


2017年3月25日土曜日

原子爆弾の投下は科学的実験記録も第一目標

長崎原子爆弾を搭載したボックス・カー(Bocks・Car)には、写真撮影機が1機と観測記録機の1機が随伴した。長崎原爆の画像と動画を撮影することを目的した。原爆の威力を観測して記録する目的で科学要員を搭載することを投下命令書の第一命令とした。長崎原爆の投下直前に落下傘で落下した観測記録ゾンデが長崎市内で発見された。威力・爆圧・熱温・放射能等を測定した。終戦後に米軍は直ちにゾンデを回収して極秘資料とした。



2017年3月24日金曜日

正式な戦争省からアメリカ軍に原子爆弾の投下命令書

アラモード砂漠で1945年7月16日に原子爆弾の実験が成功した。その9日後の7月25日にアメリカ合衆国戦争省の陸軍長官と参謀総長の承認に基づき、正式な原爆投下命令書が降った。陸軍参謀総長代理の統合参謀本部のトーマス・T・ハーディが、グアムに向かう陸軍戦略航空軍の司令官のカール・スパーツ将軍に対して原爆投下の命令書を策定した。9日後の8月3日から天候の次第で、目標である広島・小倉・新潟・長崎の一つに最初の特殊爆弾を目視による原爆投下を命令した。











2017年3月23日木曜日

長崎原爆が炸裂したと想定された落下中心柱

長崎原子爆弾爆が炸裂した中心地に立つ原爆落下中心柱であった。理化学研究所が1945年10月7日に爆心地の標柱を示した。1968年に第2代目の新中心棟に建て賛えらた。1945年8月9日、午前11時2分、長崎市松山町171番地の上空約500mで爆発した。瞬間の爆発点の温度は摂氏数百万度に達し、爆発からの1万分の1秒後には約30万度の火球を形成した。火球は爆発1秒後には最大となり、半径約240mまで膨張し、爆発直後の爆心地の地表の温度は、約3,000~4,000度に達した。


2017年3月22日水曜日

広島原子爆弾となるリトル・ボーイの爆撃機への搭載前

   広島原子爆弾を投下したB-29の爆撃機エノラ・ゲイに搭載をする直前のピット内に設置されたウラニウム型原子爆弾のリトル・ボーイであった。それは人類史上で初めて核戦争で使用された。リトル・ボーイは全長3.12m、最大直径0.75m、総重量約5000Kgでウラニウム235で製造された。リトル・ボーイは予備核実験がされずに実戦使用したために機密に取り扱われた。エノラ・ゲイは爆弾倉を開いて、ピット上に後方から移動して停止した。リトル・ボーイ原爆本体はピット内から油圧ジャッキで持ち上げられてエノラ・ゲイ機内の爆弾倉へ搭載された。





2017年3月21日火曜日

ファットマンと名付けられたプラトニウム型の長崎原子爆弾

長崎原爆で使用されたファット・マンと呼ばれたプルトニウム型の原子爆弾の実物である。爆発の威力は、広島原爆で使用されたウラニウム型の原子爆弾よりも僅かに強力であった。人類史上の最初の原子爆弾のトリニティ実験は、ファット・マンを用いた。重量は4,670Kg、全長3.66m、爆発威力はTNT火薬の約22,000Kgに相当した。多数の関係者はファット・マンの尾翼に署名をして自己顕示と名誉を示した。

2017年3月20日月曜日

核実験の成功から核戦争時代の幕開け

 1945年7月16日にアメリカ合衆国のアラモゴード砂漠にて人類史上で初めての原子爆弾の実験に成功する。世界で最初の人工的な原子爆弾が午前5時29分45秒に炸裂させた。爆心地はニューメキシコ州ソコロの南東48Kmの地点であった。このトリニティ実験の名称は、キリスト教の三位一体説のトリニティから引用された。この時点から人類の歴史で初めて核戦争の時代に突入した。広島原爆のウラン235ではなく長崎原爆のプルトニウムを内蔵したガジェットの名称の核爆弾で核実験の爆発をさせた。






2017年3月19日日曜日

第二番目の核兵器である原子爆弾が長崎市に投下して炸裂

第二原爆であるファットマンがボックス・カーのB - 29から長崎市に落とされた。 長崎原爆は、1945年8月9日午前11時02分に、長崎市の南東端の常磐橋の目標地点から3.4Km遠い北西部の長崎市市街地の松山町で爆発した。 爆発の瞬間には、長崎原爆は丸い白い雲から赤い雲に変わり、巨大なキノコのような白い雲に変わった。 最大のキノコ雲は標高10,000mにも上昇した。 黒いキノコ雲の茎の雲は、その基盤から二次的に立ち昇る。 長崎原爆は、初めて16mmのカラーフィルムビデオを持つボックス・カーから記録された。

2017年3月18日土曜日

人類初の核戦争である広島原爆の炸裂

人類初の核戦争にて1945年8時15分に日本の広島市に原子爆弾が炸裂した。原爆搭載機のエノラ・ゲイからリトル・ボーイの原子爆弾が広島市の目標地点である相生橋に向けて投下された。その近隣である広島市細工町19番地の島病院の上空の580mで爆裂した。




2017年3月7日火曜日

広島原爆のウラン235による原子核分裂連鎖反応の爆発と熱源の原理

  総ての物質の原子は、中心の原子核と周囲の電子群から構成される。原子核内の正電気の陽子と電気のない中性子の数は物質で安定し強固である。しかし、ウラン235の原子核は、中性子を吸収すると分裂を繰り返して中性子を放出する。その中性子が分裂したウラン235を再分裂を引き起こす。放出された中性子が浪費しないように、ウラン235だけを限界体積まで濃縮すると、猛烈な超高速なる核分裂連鎖反応が連続する。80回の連鎖だけで、約10の24乗もの核分裂を起こす。同じ質量の石炭と比較しても260万倍以上ものカロリーを発生する。天体の太陽や星の爆発と熱源となる原子核反応が原子爆弾に応用された。


2017年3月5日日曜日

長崎原爆型により人類を深刻な危機に陥れる深刻な核兵器の実験

 長崎原爆と同型のプルトニウム239型の原爆を使用したトリニティ実験が1945年7月16日午前5時29分に実施された。原子爆弾が炸裂した地表面のゼロ地点から炸裂した。原爆の炸裂して0.25秒後の火球を超高速カメラで撮影した一コマである。火球は直径は約310mに達している。熱線はこれから2秒までに熱線の90%が火球から放出された。爆風は約2秒前後で最大となった。2秒まで急速に増化する大量のガンマー線が放出されて、まわりの空気と反応して紫色に発光した。
 原爆をTNT火薬の爆発と比較すると、1) 1,000万倍以上もの莫大なる爆発力、2)破滅的な衝撃波を伴う爆風、3)瞬時は数百万度まで達する 4) 人体に深刻な障害を起こす放射能の放出 5) 強力なガンマー線から電磁波の発生で人体だけでなく都市機能まで麻痺から停止する。原爆をTNT火薬とは複合的な桁違いの威力で人類を危機に陥れる。



2017年3月4日土曜日

広島原爆は100万分の1秒以内にウラン235が核分裂連鎖反応した

 広島原爆はウラン235を砲身式の爆薬で臨界量を超えた時点で中性子を衝突させて、核分裂連鎖反応を起こした。100万分の1秒の核分裂連鎖反応の瞬間に、ウラン235の約50Kgの内約700gで、超核爆発エネルギーが放出された。数百万度の超高温、数十万気圧、ガンマー線・電磁波・中性子が原爆から拡散する。周囲の大気と衝突しながら噴火しながら熱線と衝撃波を炸裂した。核分裂のエネルギーの約5%が初期放射線となり、約30%が熱線、約50%が爆風、約10%が残留放射線を暴発しながら。
 人類史上初のトリニティ実験の超高速度カメラで撮影された。1) 100万分の1秒で、原爆による火球の炸裂点から衝撃波が発生した。2)  100万分の2秒で、衝撃波は地表から同心円状に拡散する。3) 爆風が砂漠を巻き上げながら拡散する。
 この過程から、100万分の1秒で原爆は炸裂して火球が出現して、その周囲には爆圧・熱線・放射線から青白く発光した。


2017年3月1日水曜日

長崎原爆はプルトニウム239を球状から爆縮する原子爆弾装置である

 ニューヨークのマンハッタンに隣接したスタテン島に貯蔵した約1200トンのウラン鉱石から原子爆弾の開発と製造がされた。そのウラン235はウラン238にわずか0.7%しか含有されていない。そのウラン238に中性子を吸収させることで原子炉内から大量のプルトニウム239を精製できた。それに含有するプルトニウム240が自発核分裂し中性子を放出しても、プルトニウム239が核分裂の連鎖反応が起こる原子爆弾装置が開発された。
 プルトニウム型の長崎原爆は、中心部から中性子を発生させ、それをプルトニウムに吸収させる。さらにウラン238を取り巻き、外側から球状に点在する爆弾を暴発させる。プルトニウムが爆縮されて中心部の中性子と核分裂の連鎖反応が発生して超破壊的エネルギーで炸裂する。プルトニウムの爆縮が極めて困難であり、1944年7月16日のトリニティ実験で史上初めて成功した。