2018年6月3日日曜日

18歳の女性学徒が、長崎原子爆弾で顔面、両方前腕から右膝関節周辺に熱傷を被爆して、大村海軍病院に収容された。(長崎)

長崎市から北東約20kmも離れている大村海軍病院は、大村海軍航空隊のために1942年10月から開設された。1945年8月9日午前11時2分に炸裂した長崎原爆から午後3時になって電話連絡で救護隊が被爆者の護送を始めた。18歳の女性学徒が、8月9日に長崎海軍病院の第6病舎に護送されて収容された。顔面および両方前腕から右膝関節周辺に第2度の熱傷を被爆して、水疱を伴っていた。8月25日には、顔面の熱傷は黄褐色の痂皮で覆われてほとんど落ち着いた。しかし、8月28日の血液検査で白血球数は約800個 /m3( 基準値3,500から9,500)まで著明に減少した。赤血球は437万個(350から500万)、ヘマトクリット48%(35から45%)、色素係数は0.55であった。創部はリバノール肝油で湿布やマクロライドを塗り、火傷は軽快した。リンゲル液は静脈注射して、トリアノンを服用して感染を予防して、ナルビンを注射して造血した。8月31日に第3病舎に転舎した。