Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会: 日本平和市民が原爆の悲惨な体験をした「日本思い出の原子爆弾」の真実を授けたい。日本原子爆弾の代弁者として多くの世界平和市民の心に送りたい。いつかの時代も、原子爆弾の加害者と被害者にされるのは市民です。原子爆弾を知らない世代の平和市民に「思い出の原爆」の真実を覚えてほしい。原爆と平和市民の真実を記録するブログには、その関心や意義だけではなく、JNAB の掲載に対する閲覧注意[NSFW]も慎重に留意してください。「思い出の原子爆弾」の真実は平和市民による原子爆弾禁止の真の抑止力となります。 Japan No Atomic Bomb (JNAB) 日本原爆禁止の会 japan.atomic.bomb@gmail.com https://sites.google.com/view/japanatomicbomb/ @Aug/6/2016, JNAB [NSFW: Not Safe For Work]
2018年4月30日月曜日
2018年4月22日日曜日
青年医学生は、長崎原爆の放射能を大量に浴びて、髪の毛が抜け、ぐったりと横たわる少女の耳から血液検査のために採血した。(長崎)
長崎原子爆弾の1945年8月9日の炸裂による重度の被爆者が、爆心地から南約3kmの新興善特設救護病院に護送された。被爆者から1945年12月末までに急性期(2週間まで)、亜急性期(2月間まで)、維持期(3月以後)の急性障害が発症した。
長崎原子爆弾が1945年8月9日11時2分に、アメリカ軍の爆撃機B-29「グレート・アーティスト」から投下されて炸裂から、間もなく長崎市の新興善国民学校の特設救護所に、被爆した少女は救護された。九州帝国大学の医学生だった青年は9月上旬に、少女は放射能を大量に浴びて、髪の毛が抜け、ぐったりと横たわる少女の耳から血液検査のために採血した。血液中の白血球の減少を検査した。朝日新聞西部本社のカメラマンだった故・富重安雄氏が撮影した。青年だった浜清さんは、できる限りの事をするも、次々と亡くなる被爆者を前に無力を感じた。全身が焼けただれ、身体にガラス片が刺さった被爆者などが次々と運び込まれた。長崎原爆の投下から3日後の1945年8月12日頃は、爆心地に近い山里国民学校の救護所で、青年は傷口を消毒したり強心剤を打ったりするだけで一杯だった。被爆者らは次々に息絶えで被爆死して、広場に積み重ねられる死体は高く積み重ねた。
急性期の即死は崩壊下での圧死や焼死と全身熱傷による。大量放射線の被爆者は全身の脱力感、吐気、嘔吐等の症状が現れ、数日間に発熱、下痢、吐血等による全身衰弱で10日前後までに死亡した。造血組織や腸の上皮細胞の病理的障害が認められた。
亜急性症状は、吐き気、嘔吐、下痢、脱力感、各種出血、白血球減少、赤血球減少等であった。骨髄、リンパ節、脾臓などの組織が破壊され、顆粒球や血小板が減少し、感染の抵抗力の低下と出血症状が現れた。この時期の死因の多くは重度感染症と敗血症であった。 床に横たわる被爆者から9月24日 の回診で耳たぶから血液を採取して検査するしかなかった。
放射線被爆の急性障害症状は、脱毛、出血、口腔咽頭部病変及び白血球減少であった。発生率は被爆線量の増大と、50rad(0.5Gy)で5〜10%から、300rad(3Gy)で50〜80%と強相関的に増加した。脱毛は被爆後8〜10週に起こった。
放射線障害の維持期なら、被爆の3〜4か月後から始まり、内臓諸器官の機能回復、脱毛から発毛、各種血球の増殖、正常化が起こり始めた。
2018年3月24日土曜日
2018年3月18日日曜日
2018年3月10日土曜日
2018年2月24日土曜日
2018年2月12日月曜日
2018年2月11日日曜日
2018年2月4日日曜日
2018年2月2日金曜日
1歳の男児が、長崎原子爆弾により重度の全身爆傷を被爆して、全身状態が悪化し9月5日に大村海軍病院に救護された。(長崎)
1歳の男児が、長崎原子爆弾の1945年8月9日の炸裂により重度の全身爆傷を被爆した。9月5日に全身状態が悪化して、長崎市内から北東20kmの大村海軍病院に救護された。爆傷した数日後にて多数の水疱が生じて、8月30日より発熱して、常に泣き続け全身の機嫌が極度に低下した。9月5日には膿疱疹が出現して、体温38度となった。下肢には亜鉛華油を塗り、ビタミCを注射したのみであった。9月21日から左眼から少量の目脂を分泌し始めた。その予後は不詳である。
トランプ米政権は2018年2月2日に、米国の核戦略の核態勢見直し(NPR: Nuclear Posture Review)を公表した。ロシアや中国、北朝鮮などが核兵器増強を進める現状に対応して、爆発力を小さく、機動性を高めた新型核兵器の導入を明記した。非核兵器による攻撃に対する核兵器による報復の可能性も含めた。冷戦後の歴代米国政権が目指した核兵器削減や使用回避を優先させる方針から、核兵器をより使用を容易にする方向の転換をした。
2018年1月28日日曜日
2018年1月27日土曜日
イラク紛争では劣化ウラン弾から残留放射能による多数の無脳症の新生児が出産された。
イラク紛争により首都のバグダッドのアルウイア病院では、劣化ウラン爆弾からの残留放射能による多数個の無脳症の新生児が出産された。出産には最悪の障害を伴う無脳児となり、近日中に死亡に至った。アメリカ軍は、原子力発電所の廃棄物でもある劣化ウラン弾をイラク紛争で使用した。イラク紛争後も、放射能による遺伝子の影響で、先天性障害だけでなく白血病など悪性腫瘍も増加した。アメリカ軍は1991年の湾岸戦争と2003年のイラク戦から、ボスニア・コソボ紛争からアフガニスタン紛争に、さらに2015年にはイスラム国にも劣化ウラン弾が使用された。しかし、アメリカ政府から世界保健機関(WHO)までもが、劣化ウラン弾の後遺症を否定している。
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